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TOPリレーエッセイ > 第2回

リレーエッセイ

「M3来た!」 市川 聡

 医師になって3年目の秋,内科レジデントとして血液疾患を中心に様々な症例を担当しながらそれなりに多忙な毎日を過ごしていた,ある水曜日の午前だった.突如として電話が鳴り,指導医からの一言「市川,M3(の患者さんが)来た!!」―――それは長く苦しい戦いが始まる狼煙であった.M3=急性前骨髄球性白血病.一応の教科書的な知識での心得はあったが,まだ急性白血病の患者さんの治療を担当したことはなく,「急性白血病の患者さんを担当すると,一般の入院患者さんの5人分くらいは手のかかる大変な治療になる」という,以前に指導医から聞いた話が頭の片隅にあったものの,実感は湧くはずもなかった.どのようなことがこれから起こるのか,胸の内では不安もいっぱいだったが,同時に戦うべき時が来たという覚悟とともに武者震いを覚えた.骨髄穿刺を行い,検鏡してやはりM3に間違いないと確信,当日からの治療を始めるべく,大急ぎで様々な処置や指示を行っていく.この患者さんの診療には一から携わりたいと思い,少ない時間で資料を用意して病状説明もさせて頂いたが,緊張もあり言葉がうまく繋がらずしどろもどろで,結局指導医に大半をお願いせざるを得なかった.患者さんは当時女子高生.入院時既に感染を合併して高熱を出し全身状態不良.この若い患者さんの命運を自分が握っているかと思うと,アドレナリンが体中から湧き出た.当日から早速化学療法開始.同時に強力な抗生剤投与を始めたが,いくら使っても熱は下がらず,患者さんは半ば意識朦朧状態.それでも患者さんは文句何一つ言わず,大事な薬は内服してくれ,処置にも協力的で,生きようと必死に頑張っていた.月経は止まらず,連日大量輸血.これほどに急性白血病の治療は大変なのかと思い知らされ,遅くまで病棟に残り,夜中でも病棟から連絡があれば駆けつける日々が続いた.3週間熱で苦しみ,4週間ほどたったところでようやく正常な血球が増え,熱も下がり,次第に患者さんが元気になってきたときには涙が出るほど嬉しかった.それから3コースの化学療法をおこなって元気に退院.患者さんはその後再発なく経過,進学・就職を果たし,元気に生活されていると聞く.

 血液腫瘍,特に急性白血病の治療は,治療強度が強いため合併症も多く,更に月〜年単位の長い治療になるため,患者さんにとっても医療者にとっても決して楽なものではないが,苦難に満ちた長い道のりの先に「治癒」,そして新たな人生という光り輝くゴールが見えているということを初めて実感させて頂いた症例であった.

 今でも,急性白血病の患者さんを初診で診させて頂くとき,あの日の指導医の「M3来た!」という言葉とともに感じた武者震いを思い出す.それは,血液内科医としての「原点」だと思っている.